絵画離れと文学離れが世間で起こっていると大変文化的にまずいという話をします。
絵を描いてて絵画離れが起きるとなぜまずいか少々極論も交えるが説明する。
若者の美術館離れがあると聞く。絵を描く者として言わせるとこれは大変まずい状況なのです。
画家自身がデッサン力を上げれば問題ないかというとそうではない。
物質的に見れば絵画などというものは支持体や紙などに付着した鉛筆の粉やインクの染みであったり絵の具の塊である。
美術館離れ絵画離れが起きると鑑賞者の鑑賞眼が養われず。
その絵の具の塊やインクの染みや鉛筆の粉である絵画をどう見るのかという
意識が養われない。
絵という物質をどういう意識で鑑賞者がみるのかという空間がセットになってはじめて絵画は芸術となり文化足り得るわけであります。
極端な話ですが鑑賞者が育たないとモノとしての絵画は残りますが文化としての絵画がなくなってしまう。
あと文学離れがなぜ悪いかというと
ストーリー作りができる人材が減るということです。映画、漫画、ドラマ、演劇、アニメ、小説などストーリーの関わる分野が衰退するわけです。
あと純文学などは罪人や落伍者、没落家庭など様々な失敗者も描き
昔のハリウッドの成功話の逆を行く物語もよくあります。
文学離れが起きると世の中にいる弱い人の立場への想像力がうせ
人生というのは必ずしもうまくいくとは限らないしうまくいくことは少ないと知り
他者の痛みへの想像力がなくなってしまうわけです。
それと文学離れは絵画文化を衰退させる可能性もあります。
文学を読む事で絵のアイディアを考える想像力が養われ絵画にとってもプラスになります。
文学離れが進むとテクニックだけのアイディアのない絵画作品になり
絵画文化も衰退してしまうというわけです。
よって文学離れ絵画離れは人類にとって芸術にとって不幸な現象なのです。