教育現場では国語なんかで走れメロスとか雨にも負けずなんか好まれる感じがする。
ボードレールの詩集にガラス屋に植木を落としてガラスを割るイカレタおっさんの不都合な硝子屋というのがあるが
こんな作品は教育上良くないとかいう理由で国語や道徳に乗らなそうである。
美術の教科書にもエゴンシーレの性器を広げた裸婦像の絵画は載るまい。教育現場では浮世絵の春画ものらんであろう。
教育者が漫画よりも児童書や絵本を読ませたがるのは
漫画が人間の欲望と本音を書いていることが多いからだ。
教育現場は道徳とか教育上の建前みたいな作品の方が好まれそうである。
教育現場では教えられてない本音の部分が創作現場では大事であったりする。
このブログも教育目的じゃないからこういう記事を書く。
僕は本当に教育者じゃなくってよかったと思う。