https://www.instagram.com/anzymatsuri/
あんじーのインスタグラム始めました。
思ったよりアート系の画家が多くおられ肌に合います。
よかったのはインスタは自由な感じしてて
以前SNS疲れで退会したフェイスブックやツイッターのような窮屈さがないこと。
救われた。ふー。
https://www.instagram.com/anzymatsuri/
あんじーのインスタグラム始めました。
思ったよりアート系の画家が多くおられ肌に合います。
よかったのはインスタは自由な感じしてて
以前SNS疲れで退会したフェイスブックやツイッターのような窮屈さがないこと。
救われた。ふー。
ネットで画家活動するとき
宣伝方法がわからないんです。
なんか売れっ子の画家さんがいて商売上手で宣伝もうまく売れているらしいです。
ほかにもおしゃれな美人画家さんがいて顔出しして宣伝しています。だんだんメディア露出もしているみたいです。
上手に宣伝しているのを見ますが
で考えたんですよ。
陽キャの商売上手でもない陰キャラのぼくはどうやったら宣伝できるのかなあ。
というホームページをやっていて
美少女キャラが案内しているバーチャル美術館をやっています。
春日野うさちゃん
日本茶と肉まんとホットケーキが好きな女の子
港なぎさちゃん
ギターとたこ焼きがすきな女の子
ときどきあんじーにつっこむ
架空の美術館を疑似体験でき
あんじーの作った作品をほんとにみられる美術館です。
下手なりに宣伝しました。
商売の勉強は本を読みましたがよくわからないので自己流でやってみました。
一番評判がよかった絵が有名人の肖像画です。
野村克也監督。
でも見れます。
偉いお方が言う夢⇒偉いお方がご不快にならない世間体のいい目標。下々の私が持つ夢とは違います。
フェイスブック⇒出世自慢、ワイフ自慢大会会場
芸術家⇒デッサン力とか絵画技術を身につけた余暇に絵を描く労働者、役人、無職。
芸術制作のみで飯を食えるのはビジネスノウハウを身につけた絵画技術とビジネスノウハウを両方身につけたビジネスパーソンである。
日本人で絵画とビジネス両方出来る人は日本の美術教育機関でビジネスノウハウを実習する授業をする場所が少ないので大抵の画家は就労するか無職である。
プロウト⇒プロの素人。矛盾した言い回しだがたとえばあなたの周りに下手なタレントやユーチューバーより面白い人がいたら間違いなくその方がプロウト
コックさんではないが料理上手な人もプロウト
ユーチューブに面白い動画をアップする普通の一般人もプロウト
休日
ネットサーフィンしてて
面白くないなあと思ったので
青木雄二さんがすすめた世界で一番すごい面白い物語
ちなみに読んでいるのは岩波文庫版 訳者は中村白葉です。
あらすじは 自分を天才で非凡人であると自負している
大学を金がなくて追い出されたラスコーリニコフ
自分は天才だから金貸しの老婆を殺し金を奪い
勉学に役立てているのはいいことなんだと勝手な理由で殺してしまう
そして非凡人であるという自負と老婆を殺した罪の意識の狭間で葛藤し
娼婦であるソーニャにさとされ自首するという物語
たとえ自分が非凡人であっても学があっても相手がくだらない老婆であろうが
殺してはならないと諭されるわけだ。
人生うまくいくばかりではないたとえ勉強家であってもうまくいくとは限らないのは今の時代も同じであるからこそ共感を覚えてしまうのである。
そしてソーニャの父親であるマルメラードフも妻の靴下までに金に変え酒を飲んでどうしょうもない人物であるが人間とはうまくいくことばかりではないから共感を覚えてしまう。
どんな勉強家であろうがうまくいくとは限らないしマルメラードフのようにダメになる可能性は誰でもあるのです。
そういう社会は罪と罰の書かれた19世紀であろうが今の21世紀であろうが通じると思うわけであります。
絵画離れと文学離れが世間で起こっていると大変文化的にまずいという話をします。
絵を描いてて絵画離れが起きるとなぜまずいか少々極論も交えるが説明する。
若者の美術館離れがあると聞く。絵を描く者として言わせるとこれは大変まずい状況なのです。
画家自身がデッサン力を上げれば問題ないかというとそうではない。
物質的に見れば絵画などというものは支持体や紙などに付着した鉛筆の粉やインクの染みであったり絵の具の塊である。
美術館離れ絵画離れが起きると鑑賞者の鑑賞眼が養われず。
その絵の具の塊やインクの染みや鉛筆の粉である絵画をどう見るのかという
意識が養われない。
絵という物質をどういう意識で鑑賞者がみるのかという空間がセットになってはじめて絵画は芸術となり文化足り得るわけであります。
極端な話ですが鑑賞者が育たないとモノとしての絵画は残りますが文化としての絵画がなくなってしまう。
あと文学離れがなぜ悪いかというと
ストーリー作りができる人材が減るということです。映画、漫画、ドラマ、演劇、アニメ、小説などストーリーの関わる分野が衰退するわけです。
あと純文学などは罪人や落伍者、没落家庭など様々な失敗者も描き
昔のハリウッドの成功話の逆を行く物語もよくあります。
文学離れが起きると世の中にいる弱い人の立場への想像力がうせ
人生というのは必ずしもうまくいくとは限らないしうまくいくことは少ないと知り
他者の痛みへの想像力がなくなってしまうわけです。
それと文学離れは絵画文化を衰退させる可能性もあります。
文学を読む事で絵のアイディアを考える想像力が養われ絵画にとってもプラスになります。
文学離れが進むとテクニックだけのアイディアのない絵画作品になり
絵画文化も衰退してしまうというわけです。
よって文学離れ絵画離れは人類にとって芸術にとって不幸な現象なのです。